1.【研究者倫理】
一言記述:①「科学者・研究者の犯罪と事件」、 ②「研究不正(ねつ造・改ざん・盗用)は必要悪か?」、③ 「なぜ、国立大学・医学部・男性・教授が最も悪いのか?」、④「誰も言わないが、セクハラは研究者特有の事件」
10年余りの調査研究を経て、明治7年(1874年)~平成21年(2009年)、136年間の日本の「研究者の全事件」データベースがようやく完成した。「研究者の事件」は、約1,400件あり、時代に伴う事件種の変遷、事件種の特性(研究分野、所属機関、役職、年齢、性別、匿名・実名報道など)、処分(免職や裁判)、事件の大きさなどを総合的に把握できる。
また、事件を起こした研究者(氏名、研究分野、所属機関、役職、年齢、性別など)とその処分を知ることができる。データは毎年更新する予定である。「研究者の事件」は、「セクハラ」「研究費不正」「ねつ造(Fabrication)」「改ざん(Falsification)」「盗用(Plagiarism)」などがあり、事件種のいくつかは、既に明治時代・大正時代にも問題視されていた。
つまり、国・研究機関・研究者は、研究者が今まで起こした事件から、なにをどうすべきか、十分にどころか、ほとんど、学んでいない。
講演・講義・執筆では、「研究者の事件」のうち、「ねつ造(Fabrication)」「改ざん(Falsification)」「盗用(Plagiarism)」を中心に扱う。これらへの理解・倫理観・対応スキルは文系理系を問わずすべての大学院生・研究者・技術者に必須である。
研究不正は、「当然」のように“悪い”行為であると考えるために、普段、大学院生・研究者・技術者は十分な説明や教育を受けない。米国では多くの大学・研究所で教育・研修しているが、日本の大学・大学院・研究所ではマレである。
事件の実態を調べると、実のところ、研究者倫理のルールは曖昧で、シロ・クロの線引きは難しい。自己判断で行動する大学院生・研究者・技術者・大学教授は自分に都合のいいように判断するために、悲劇的な結果をもたらしている。ひとたび事件となればメディアの餌食になり、大学・研究機関からは懲戒処分を受け、天国から地獄への人生ジェットコースターである。
大学院生・研究者・技術者・大学教授は基本を学び、“つまらない”行為で研究キャリアと人生を棒に振らないように、普段あまり考えない研究者倫理をしっかり理解しておこう。
- 講演経験:武田薬品工業(2012年)、琉球大学(2012年)、建築学会(2010年)、奈良先端大学大学院(2010年)、若手ペプチド夏の勉強会(2009年)、早稲田大学(2008年)など多数
- 講義経験:所属大学(毎年)、早稲田大学(2010年、2009年、2008年)、放送大学(2010年)など多数
2.【メディア問題】
一言記述::①「メディアの描く生命科学」 ②「生命科学用語のあり方を検討すべき」
日本の多くの消費者は「遺伝子組換え食品」を拒否している。安全性に問題があるという印象ももっているからだ。しかし、遺伝子組換え食品の安全性に関する研究論文(1次情報)を読んで判断したわけではない。「遺伝子組換え食品」を拒否する本当の理由は、「安全性」ではなく、“悪いイメージ”や“価値観”を抱いているからだ。
では、誰が “イメージ” や“価値観”を植えつけているのか?
答えは、メディア(3次情報)である。
科学技術だけでなく、生活全般にわたり、現代人はメディアの流すイメージ(と情報と“価値観”)に強く支配されている。自分の好み・センス・考え、“アイデンティティ”や“個性”までもメディアに支配されている。もちろん、家族・友人・学校教育・職場の影響を受けるにしても、そもそも家族・友人・学校教育・職場がメディアに強く影響を受けているのだ。
つまり、人間の考え方、好み、生活様式、人生計画のほとんどは自分のリアルな経験は少しで、ほとんどが、バーチャルなイメージ(と情報と“価値観”)、つまりメディア、に大きく影響を受けている。
生命科学技術に限って論じよう。
一般大衆にとっては、メディアが生命科学をどう伝えるかが根源的に重要である。生命科学者にとっても、メディアが社会と生命科学との関係をどう描くかで、研究テーマの重要性(研究費やポストに影響)が決まってくるので根源的に重要である。国家にとっても、生命科学の高等教育(人材育成)、医療・食糧・バイオ産業・バイオ安全保障などの国家戦略に根源的に重要である。
メディアが生命科学をどう描くか、メディアが生命科学をどうねじ曲げているのか(あるいは、ねじ曲げていないのか)を、主観ではなく、科学的に、生命科学者の誰かが研究し続ける必要がある。科学的な研究をすることで初めて、メディアのあり方やメディアのコンテンツ(内容)に対する議論を、主観ではなく、科学の領域に押し上げて、バイオ研究者側から「あるべき姿」を提示できる。
私たちは、今までメディアとして映画と新聞を分析した。ゲーム、イラスト、テレビ、インターネットも分析している。
生命科学そのものもメディアの影響を受けているので、生命科学用語についても研究している。分析してみるとすぐにわかるが、生命科学の用語は混乱し始めている。言葉は科学技術の土台である。現状を理解し、何らかの規制やルール、監視組織を作らないと、生命科学用語の混乱が根を張ってしまう。
言葉の混乱・ゆがみは、その上に構築する科学技術をゆがめてしまう。まず生命科学用語をしっかり研究し、その分析に基づいた対策を立てる。このことは、日本にも世界にも必要に思える。
- 講演経験:筑波大学(2007年)、日本科学技術ジャーナリスト会議(2007年)など
- 講義経験:お茶の水女子大学(毎年)、放送大学(2010年)、総合研究大学院大学(2005年)など
3.【キャリア問題】
一言記述::①「だまされるな! 生命科学系学生・院生 アナタの進路は危険」 、②「生命科学者の人生と教訓」
高校生、大学生、大学院生にキャリア上の指針を語る多くの社会的成功者(含・研究者・大学教授)がよく述べる言葉に、「好きなことをしなさい」がある。これは大きな間違いである。
趣味と仕事を混同してはいけない。「好きなケーキ」だけを食べていて健康な身体に育たない。「好きな」生活・職業・学科・専攻・進路を選んでいて、健全な人生キャリアは育たない。ニート、引きこもり、無職、高学歴ワーキングプアになっていいのだろうか? 身体の発育にはバランスの良い食事が重要であるように、人生の健全な展開にはバランスの良い勉強・経験が重要である。決して「好きなこと」だけを追求してはいけない。
好きかどうかではなく、必要かどうかだ。「自分を生かす」キャリア・生活・職業・学科・専攻・進路を選ぶのである。若い時に自分の人生を失敗してしまうと、一生引きずる。後悔しても人生をリセットできない。
また、「ほめて育てる」のが大流行だが、大した成果もあげないのに、ほめられていたら、世の中を甘く見て、人間は尊大で傲慢になる。自分におごり、他人からのチョッとした批判に折れてしまう。人間の成長には負荷が必要である。嵐の強い風で葉が飛び散り、枝が折れることで、無駄な部分が削れ、樹はおおきく育つ。鉄は熱いうちに打つ。
多くの高校生・大学生は進学後のキャリアの現実を知らないで、大学・大学院に入学する。普通に勉強すれば、希望する専門職に就けると思っているようだ。多くの高校教員、大学教員がキャリアの現実とありがちな間違いを知らないので、教えられないからだ。現実は、学科・専攻・進路によっては入学定員に見合った専門職はない。
例えば、ここ数年、歯学部への進学は赤信号であり、工学部、薬学部への進学は黄信号だ。
研究者を目指すにしても、学問と研究開発の急速な発展に伴い、生命科学に関する学科・専攻の学生定員は大幅に増えた。しかし、受け入れる専門職はそれほど増えていない。20年前までの博士号取得者は、大学教員や国公立研究所の研究者になれたが、現在は、数割しかなれない。
現実を認識し、高校生・大学生は大学教員や国公立研究所の研究者になるには何をどう準備すべきか知るべきである。また、高校教員・大学教員は生徒・学生・院生にそのような実態を知らせるべきである。国は、高等教育の人材育成に有効な施策を早急に実施すべきである。
- 講演経験:高校生対象(2009年)、大阪大学・蛋白質研究所(2008年)、生化学若手夏の学校(2007年)など
- 講義経験:お茶の水女子大学(毎年)、放送大学(2010年)など
4.【生命科学政策と研究動向】
一言記述: ①「どこまで進めてよいのか生物改造」 、②「生命科学はどこまで進むか?」、③米国の研究費配分:米国に学ぶ科学者の政治への関与」
バイオ政治学は、私が、日本の研究費配分制度の問題と感じ、1995年、文部省在外研究員として米国の研究費配分制度を研究したことが原点である。在米中に執筆した本『アメリカの研究費とNIH』(1996年、共立出版、絶版)は当時、文部省、経済産業省などの研究費配分部局のバイブルと称された。この本で提案した「プログラムオフィサー」「利益相反」「審査報告書」などがその後、日本の研究費配分制度に導入された。
私が非常にラッキーだったと思うのは、日本人として米国NIHの研究費配分部局に滞在できたことである。この経験をした日本人は、いまでも私一人だろう。米国の生命科学政策の中枢(つまり、研究費を誰にどう配分するか?)の思想と仕組みを現場で学んできたのである。
米国の経験を日本の研究費制度の改善に役立てたいと、自由民主党の政治家の勉強会で2回講演した。
生命科学は、遺伝子組み換え技術の導入により、かつてないほど生物改造が可能になっている。遺伝子組み換え技術を応用した食物は大豆、トマト、サーモンなど増えつつあるが、生命科学技術それ自身は、マウスに適用できれば、当然ながら人間へも適用できる。
例えば、生殖医療は体外受精が可能になり、他人の精子や卵子も購入(?)でき、デザイナーべビーの誕生も珍しくない。また、クローン動物(人間)、ES細胞、iPS細胞による新しい時代を迎えようとしている。
つまり、生命科学は、人間生活に必要な病気の予防・診断・治療や食糧増産などの問題を解決するだけでなく、生殖、臓器移植、美容、ペット改造、快楽(バイアグラ、寿命延長、筋肉増強剤、若返りにホルモン)にもどんどん適用されている。
しかし、どこまで進んでいいのだろうか? 人間の尊厳とどう調和をとるのだろうか? 生命科学者は、どんどん研究開発してよいのだろうか?
世界163か国が締約している「生物兵器禁止条約」に日本は1982年に批准している。条約は、細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵を禁止している。
さて、非常にうがった見方を紹介しよう。「実は米国で細菌兵器は開発されている。核実験と同じで実験しないと効果は不明だから、生物兵器の効果を試すためにひそかに実験している」という陰謀説だ。「米国の組織は、この計画に反対した政治家を脅す目的で2001年に炭疽菌の粉末を送った。
それで実験が可能になり、生物兵器の実験例は、アジアの急性肺炎サーズ(2003年)、鳥インフルエンザ(2005年)、豚インフルエンザ(2009年)がある。そして、最近、核軍縮を認め始めたのは、細菌兵器の目処が立ち、完成(ワクチン備蓄)に近づいたからだ」という陰謀説である。
しかし、これを単なる陰謀説と笑ってすむのだろうか? 世界貿易センターに飛行機が突入すると誰が予測していたであろうか? 世界の某国が生物兵器を開発していたら、日本はどうなるのだろう?
予測も防止方法も、検出方法や診断方法も研究していなくて、実験材料も持っていなくて、「今年はインフルエンザが流行っているね」というレベルから1か月後、壊滅的な打撃をうけることはないのだろうか?
私は、すべての対象にたいして、少なくとも「研究」を禁止してはマズイと考えている。科学技術は「研究」「限定使用」「一般使用」の3段階で対処すべきで、国や多くの人が主張する「ゼロ」か「100」はマズイと考えている。科学技術の知識・考え方・スキルは、研究していないと継承も応用も発展も困難になる。
そして、ひとたび、他国・他分野で、大きく社会に影響するような技術を開発した時(兵器などのマイナス面だけでなく役立つプラス技術でも)、蓄積がなければ、対応できない。生命科学の考えや・技術の動向や限界を常に把握する必要がある。また、倫理的に、国民の多くは新しい生命科学技術にどの程度許容するかも把握する必要がある。
- 講演経験:分子生物学会(2009年)、「学問と社会のあり方」研究会(2007年)、自由民主党の勉強会など多数
- 講義経験:所属大学(毎年)、放送大学(2010年)など